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執筆者: 酒井謙吉
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さて、今回も、安西徹雄氏の幻の名著「英語の発想」をベースにして執筆させていただきました表題の「日本語と英語の構文比較」もパート3を迎えて、いよいよ大詰め、今回が日本語と英語との間に存在する表現や構文上の違いについて考察・検討を行う最終回となります。

パート1では、日本語の文章の中で頻繁に見られる「主語の欠落」についての検討では、文章中で使われている尊敬語や謙譲語といった敬語の中から誰が誰に対して語った言葉であるのかが、文章の前後関係ならびに登場する人物同士の人間関係の機微によって自然な形で読み手は推察することができる、したがって、日本語の文章ではいちいち主語を書かなくても、読者は誰が誰に対して話していることであるのかを十分理解することができるという考察を行いました。

パート2では、日本語で使われる時制について考察を深め、客観的な時間軸の流れに対応して時制が決まるというよりも、日本語では著者のきわめて主観的な時間的視点の移動によって時制が決まる傾向にあるため、過去の出来事の記述であるにもかかわらず、現在形が使われる、またその逆も然りということを分析、検討いたしました。

英語と比較して、これら日本語の持つ顕著な特徴を浮かび上がらせることによって、日本語には主観的ならびに心情的な表現手法が数多く存在し、それによって著者と読者とがより密接に共感性を分かち合いながら文章の中に感情移入させることのできる特異な言語であるという事実が浮かび上がってきた次第です。

実はここでひとつ訂正しなければならないことあります。 パート2では、英語は、「過去の出来事を語る場合には、もっぱら過去形が起用され、現在形が過去形と共に混在するというような書き方はしない」という記述を行いましたが、厳密に言うと、英語でも例外的に過去形の中に現在形が混ざって使われることがあるということをその後になって知りました。 それは、19世紀のイギリスの桂冠詩人であるワーズワースやコールリッジの詩などに頻繁に見られるものなのですが、「劇的現在」(Dramatic Presence)という技法が英語の中にもあり、過去形と現在形とを混在させることによって、より劇的な臨場感を醸し出す表現技法として使われているということです。 しかしながら、どうもこの表現技法は、英語では詩の世界だけでもっぱら使われているようでありまして、一般的な表現方法であるとはいえません。

安西教授は、「英語の発想」の中で、(故)エドワード・サイデンステッカー コロンビア大学名誉教授が英訳した、日本文学を代表する文豪の小説の英訳例を一部引用されています。その中のひとつで、川端康成の「山の音」という小説の冒頭部分で、主人公が「山の音」をはじめて聞き、驚愕を覚えるシーンがあります。 そのシーンの英訳を読んだ私の妻は、これはまるっきり詩の中の世界で、とても小説であるとは思えないというのです。(注:私の妻は、アメリカ人で大学では英文学を専攻しています)

紙面の都合から「山の音」のオリジナルとその英訳とを皆様にご紹介できないのが大変残念なのですが、確かにオリジナルの日本語もかなり詩的な表現に満ちていると感じられます。ただこのような書き方は、文豪の書いた小説世界では取り立てて言うほど珍しいことでもないと思いますので、逆に英文学の基本線からいくと確かに一種独特な世界に映るのかもしれません。

この「山の音」は、時制においても現在形と過去形とが混在を極め、ひとつの文章が終了するごとに時制が交代しているのです。 それは、作者である川端康成が信吾という主人公に成り代わって、山の音を聞くまでのあたりの描写を書いているかと思うと、突然「信吾は」という三人称の構文表現が現れ、作者は主人公から遊離して、あたかもテレビドラマのナレーター役のような書き方となっています。 時制は、過去形で書かれ、客観的な感じがするのに対して、信吾の視点に戻って書かれた箇所はすべて現在形となっており、あたかも主人公の心のつぶやきをその場で代弁しているかのような印象を受けます。

しかも時制の変化や混在だけではなく、それぞれの文章は、はたして信吾が心の中で放った言葉であるのか、あるいは、作者である川端康成が第三者としてナレーターのような描写をしたものなのか、つまりはそのどちらもが時制同様に混在しているようなのです。 ここでは、時制だけではない、日本語の話法の微妙なあやが繰り広げられています。 英語の話法には、直接話法と間接話法があるのに対して、日本語のほとんどは直接話法で語られますが、この「山の音」の中では、そのどちらでもない、中間に位置するような話法(安西教授は、“中間話法”と呼んでいます)が存在し、客観性と主観性の間を行きつ戻りつし、また時制もそれに合わせて過去と現在とが交じり合うという展開をみせています。

時制が混在することによって、日本語は作者と読者の垣根を払って、深い共感性をもたらすということを前回書きましたが、もうひとつ「話法」においても、誰が語っているのかという視点を自由に移す技法が存在し、それも時間軸の移動と合わせて、主人公の深い心のひだに対して読者にあたかもその場に居合わせたかのような一体感のある擬似体験を感じさせることを提供してくれます。 やはりそのような話法の移動というのは、英語の中では基本的にはないようですので(それでも英語の詩作の世界では例外的に存在するみたいですが)、やはり日本語というのは、英語の世界から見ると、詩作のような、凝縮した表現や技法をちりばめた言語世界であるということが以上の検討で、例証できたのではないかと思います。 日本語は、詩の世界のように短い言葉の中に深い意味や観念を凝縮して入れ込むことのできる特異な言語であるということをあらためて認識させられた思いがいたしました。

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